全日本大学駅伝2024で4区を走る予定の駒澤大学・谷中晴(たになかはる)選手!
今回は『谷中晴の怪我はいつ?進路先を國學院ではなく駒澤大学にした理由は?』と題し、谷中晴選手の怪我はいつだったのか、進路先を駒澤大学にした理由について紹介します。
- 谷中晴の怪我はいつ?
- 谷中晴が進路先を國學院ではなく駒澤大学にした理由は?
高校時代の輝かしい記録を武器に駒澤大学でも期待のルーキーとして注目されている谷中選手について見ていきましょう!
谷中晴の怪我はいつ?
谷中晴選手の怪我については、高校3年生の秋から大学1年生の9月頃のことです。
突然、高校3年生の秋に膝を怪我。
谷中選手にとってとても大事な時期での膝の怪我は深刻で、その後も治療が続き完治まで長引きました。
すぐに怪我を治して万全にするつもりが駒澤大学入学しても治らず…
高校3年生の秋には駒澤大学へ進学することが決まっていたはずなので精神的に不安でいっぱいだったでしょうね。
谷中選手の膝の怪我は、中々治らず高校3年生の秋から2024年4月に駒澤大学入学後の7月下旬までかかりました。
膝の痛みに悩まされ続けた約10ヶ月間は、谷中選手にとってつらく厳しい試練だったに違いありません。
ようやく駒澤大学陸上部の練習にしっかり参加できたのが、入学後の7月下旬。
ここから出雲駅伝2024のメンバー入りを目指して遅れを取り戻そうとしていた矢先、再び怪我…。
2024年9月怪我再び…
2024年9月に怪我をしていた膝の痛みが再発、膝をかばうことで別の部位を怪我してしまいました。
本当に心が折れそうなほどきつい時期だったでしょう。
谷中選手は実戦復帰を目指して、リハビリを頑張っていましたが、9月の選抜合宿で股関節を怪我。
怪我からの復帰が中々果たせず、出雲駅伝2024のメンバー入りはできませんでした。
怪我の完治を目指して試行錯誤する谷中選手を、駒澤大学陸上部の藤田敦史監督も温かく見守っていました。
怪我との闘いの期間は、間違いなく谷中選手の精神力を強くしましたね!
三大駅伝でチームに貢献して優勝する夢を持って駒澤大学へ入学するも、中々思うように走れず本当に苦しく悔しい時期だったでしょうね。
長い怪我の時期を経てついに全日本メンバー入り!
2024年11月1日、長い怪我の時期を経てついに全日本大学駅伝メンバー入りを果たしました!
藤田監督の見方では、谷中選手は「まだ体が出来上がってない(華奢で体重が軽い)ため、速さに体が追いつかず怪我をしやすい」とのこと。
これから体作りに重点を置いて、怪我につながるのをできるだけ避けていけると良いですね!
監督の言葉から、まだ1年生の谷中選手の潜在能力の高さと、怪我を乗り越えることで更なる飛躍を期待する気持ちが表れていると感じました。
もう1つの「出雲駅伝」で1位に!
谷中晴選手は、「もう1つの出雲駅伝」で1位になりました。
もう1つの出雲駅伝とは?
- 出雲駅伝2024のレース後に出場メンバーから外れた各校の補欠選手のために行われたレース
- 出雲市の浜山公園陸上競技場で行われた出雲市陸協記録会(5,000m)
谷中選手は、怪我の影響で駅伝に向けた練習がしっかりできなかったため出雲駅伝のメンバーに入ることができませんでした。
その悔しさをぶつける場となったのが、「もう1つの出雲駅伝」!
そこで「駒澤大学のルーキー」谷中選手は、13分49秒71という好記録で全体の1位に!
怪我の影響や今までの悔しさを晴らすような会心の走りの後、
「ラスト800mでスパートをかけられないと全日本のメンバー入りできない」
と、冷静に話していた姿が印象的でした。
同じ駒澤大学1年生ルーキーの桑田駿介選手が出雲駅伝の1区を走ったことは、同級生として嬉しい反面悔しさや焦りも感じたでしょう。
怪我で鬱屈(うっくつ)していた気持ちを全て解放して、粘り強く食らいつく谷中選手の走りが全日本で見られることを期待しましょう!
谷中晴が進路先を國學院ではなく駒澤大学にした理由は?
結論から言うと、谷中晴選手が進路先を國學院大學ではなく駒澤大学した明確な理由はわかりませんでした。
ただ、進路先を駒澤大学にした理由についてインタビューなどの言葉から考察しました。
また、SNSでは谷中選手の高校時代の活躍やキャラクターから「進路先は國學院大學っぽい?」といった声も見られました。
結果的に、谷中選手は進路先を駒澤大学に決定。
その理由について以下のように考えました。
- 監督が福島出身という縁
- 駒澤大学陸上部の強さ
- 藤田敦史監督の指導力
- チームの雰囲気
- 個人的な目標との一致
- サポート面
駒澤大学は、箱根駅伝常連の長距離走で非常に強い大学。
特に駅伝では、常に上位の成績を残していて多くの優秀な選手を排出しています。
大八木弘明監督という駒澤大学の名物監督が有名ですが、大八木監督退任後、チームを任された藤田敦史監督の指導力に対する評価がとても高いです。
藤田監督は、高校3年生で怪我をして苦しんでいた谷中選手の気持ちを理解し、強さを高く評価していたので谷中選手にとって駒澤大学に藤田監督の存在があったのは心強かったでしょう。
大八木弘明総監督と藤田敦史監督の出身が谷中選手と同じ福島県という点や、駒澤大学の陸上部内に高校時代お世話になった先輩も多くいて「縁を感じた」というのも大きい理由だそうです。
駒澤大学陸上部は、チームワークの良さでも知られています。
上位の駅伝チームは、レースを見ていて本当に清々しいチームワークの良さを感じますよね!
谷中選手は、駒澤大学チームの雰囲気に惹かれたのかもしれません。
谷中選手個人の目標や夢が、長距離走や駅伝で日本一を目指すという駒澤大学の目標と合致していたこともポイント!
怪我の治療期間が長かった谷中選手にとって、大学全体のサポート体制が充実していたこともよかったのかもしれませんね。
まとめ
今回は『谷中晴の怪我はいつ?進路先を國學院ではなく駒澤大学にした理由は?』と題して、谷中晴選手の怪我はいつ、進路先を駒澤大学にした理由について見てきました。
谷中選手は高校3年生の秋に膝の怪我に見舞われました。
怪我の治療は完治まで約10ヶ月ほどかかり、膝の怪我だけでなく他の部位まで広がって本当につらい時期を経験。
怪我という大きな試練は、谷中選手を精神的に成長させさらに強い選手にしました。
高校時代の活躍から考えると進路先は複数候補があったと思いますが、最終的に駒澤大学を進路先として選んだ谷中選手。
入学してみると「駒澤大学」のカラーにとてもしっくり馴染んでいますね!
ようやく夢の三大駅伝の1つ、全日本大学駅伝で出走することが決まった谷中選手。
怪我との日々を乗り越えてきた期間を胸に、思いっきり楽しんで走ってもらいたいです。
駒澤大学が全日本大学駅伝で5連覇を達成するのか、白熱したレースが展開されることを見届けましょう!